06 August

小手森城跡

小手森(おでもり)城は、天正13年(1585年)に伊達政宗により攻められ落城しました。
その際に老若男女800余人が殺された話は、落城悲話として言い伝えられています。
現在では石垣、曲輪(くるわ・「郭(くるわ)」とも)が残存しております。

-二本松市観光連盟より抜粋-

この落城悲話というのが周辺諸侯を震え上がらせた俗に言う”小手森城の撫で斬り”です。

小手森城の撫で斬り

天正13年(1585年)陸奥国安達郡小浜城主である大内定綱を攻め込む伊達政宗。その大内定綱に付いた小浜城の支城である小手森城を攻めた。一旦は政宗を迎撃した城主・菊池顕綱であったが、小手森城の明け渡しを申しいれる。だが。政宗はその申し入れを断る。同年8月27日に再度小手森城に攻め入った。このとき、政宗は城主・菊池顕綱をはじめ、敵将や敵兵だけでなく女や子供犬猫な至るまで殲滅したといわれている。

同日付で最上義光へ送った書状には、城主・菊池顕綱や大内定綱の親類など500人を討ち取ったほか、城内にいたものは人のみならず、牛馬までも全て撫で斬りにし、その数は総勢1,000人に及んだと記載している。しかし、翌28日付で家臣の後藤信康に送った書状によれば200人、9月2日付で資福寺・虎哉宗乙宛の書状では800人と記載されているので正確な数字は解っていない。

この戦が後に”小手森城の撫で斬り”として語り継がれる事となる。

廃城

天正16年5月再び小手森城は憂れき目を見ることになる。
小手森城を与えられていた石川弾正が相馬義胤の誘いに応じて政宗に反旗を翻したのだ。
5月16日に政宗は弾正の籠もる小手森城を攻撃し、500人余を討ち取り落城させた。これ以後、小手森城が史料に表れることはなく、この時に廃城になったと思われる。


現在は本丸跡に愛宕神社が祀られている。


殺された人々を鎮静するためのものだろうか。

小手森城で起きた心霊現象

暗闇に浮かび上がる戦国武者の亡霊
女性や子供の悲しくむせび泣く声
怨念に満ちた死霊の群れが訪れる者を威嚇して恐ろしい祟りをなすという

ここを訪れた後に体調を悪くしたりする話を多く耳にするので遊び半分の気持ちでは行かないことをお願いしたい、もし行くのであればそれ相応の覚悟を持って行ってください。

建物は所有者によって管理されています。
無断で侵入する事や物品の持ち出しは法律で禁じられています。
近隣住民の方々に迷惑となる行為は慎むようにお願いします。